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FADO #2

今、公演で秋田県に居る。日本の東北地方とポルトガルは緯度がほぼ同じらしいが、僕が愛するリスボンに想いを寄せて FADO について少し書こうかと思う。…先日、ポルトガルギター奏者で「日本ファド大使」でもあられる月本一史 先生のクラスでお講義を受けた。年4回しかない貴重なクラスで、先生の深いご見識と音楽解析を拝聴することが出来た素晴らしいクラスだった。「古典ファド」と「歌謡ファド」の区別、FADO の各種音楽形式、テクスチュア、神秘性、音の向こう側 などなど…僕自身の中で霧に包まれていて見えてこなかったディープな部分が少しだけでも晴れたことは、大変にありがたいことだ。今まで自分が FADO だと思い込んでいた音楽さえも、実はそれは FADO ではなく単なる「ポルトガルポップス」に過ぎなかった(爆笑)ということも音楽構造的に理解でき、頭の中はかなりスッキリした。…アマリア・ロドリゲスは FADO音楽の巨匠〜レジェンド歌手だが、彼女が「ビジネス」と割り切って歌った音楽でさえも、“アマリアが歌えば、それはどんな曲も全てがファドになるんだよね〜”…といった衆生側の人物至上主義的思考がある(これは Jazz音楽の中にもしばしば見られる少数派思考だ)が、僕はこういった低脳な世俗的感性に微塵の好感すら抱かない。…例えばだが、“●●●氏は、彼の生きざまそのものが Jazz だから、彼が演奏した(仮に)童謡題材ですらそれは Jazz と化すわけなんだよね〜”的な意見に対して、僕は殆ど97% 賛同はしないし、自分の心は一切揺れ動かない…という比喩に等しい。– FADO は FADO であり、歌謡は歌謡に他ならないわけで、明確に区別されるべきである。(左側CD)は、アマリアの1955年のリスボンに於けるライブ記録音源【廃盤】で超貴重な音源だ。これぞファド・ホンド(深いファド)という内容。演奏会場の生々しい聴衆の空気感も味わえる実に美味しい一枚だ。(右側CD)は、アマリアが 1970年代前半に制作した(させられた?)「ポルトガルポップス」の作品。….私が描いた絵の中のリスボンの空、かもめが私に運んで来てくれたら、その空では眼差は飛べない翼、力を失ない 海に落ちる。私の胸に鼓動するのは、何と完全な心臓、あなたの手の中にある私の愛、その手の中に 私の心が容れられる…もし人生に別れを告げる時、空の鳥たち全てが別れの挨拶をするなら、あなたの最後の眼差 それはあなただけのもの、あなたが初めてだった愛。私の胸で死ぬのは 何と完全な心臓、あなたの手の中の私の愛、その中で完全に鼓動する 私の心臓….(秋田県の宿泊先ホテルの部屋で、今 ファドは静かに熱く、鳴り響いている)

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